先日、福島の方にボランティアで行ってきました。
被災地の方はだいぶ冷えてきています。おじぃおばぁ、子供達はみんな大丈夫かな?
月に1回は必ず被災地に行こうとみんなで決めてから、毎月知り合いを通して、岩手・宮城・福島・茨城に行っていました。しかし、9月10月は残念ながら行く事ができませんでした
2ヶ月空いてしまったがプロジェクト再開!気持ちを新たに心を一つにして福島へ〜
朝の車では目をこすりながら、今日のミーティング。
天気もカプリを応援しているかの様に→
ん〜良い天気
太陽が2個ある様に見えるのは、車の窓に反射した物
小学校では暖かく迎えてもらい、すごく感激です。生でダブルダッチを見るのは初めてでみんな目がキラッキラ
今回は合計400人のお友達に跳んでもらい、たくさんの笑顔を見る事が出来ました。
楽しかったダブルダッチゲームでは、なんと5年生が6年生に勝つシーンもあり、5年生は大喜び

6年生は悔しそうにしていましたが、実はハンデをもらっているんです。もしハンデがなかったら確実に6年生が勝ってましたね。さすがは、6年生!あと2・3ヶ月で卒業を前に5年生花をもたしてくれたのかな?
思い出すだけで、涙ちょちょぎれそう
自分たちが出来る事は、縄跳びを通じて何か伝える事。しかし毎回、子供達から何かパワーをもらっているような気がします。みんなの笑顔、言葉、ひとつひとつ大きな力になります。よし、明日からまたがんばろう
一緒に行ってくれた池田さん、あきら、あやぽん、それから芳賀小学校のみなさんありがとう。
今日は、フィギュアスケートのコーチです。よし!全力で指導してきます。
なんか熱くなってきたな。 熱くなりすぎて今なんか松岡修造みたいになってる気がする…
ハハっ
9月に行った岩手の小学校で、一つの作文に出会いました。
みなさんに紹介します。
『いっしゅんのできごと』
3月11日2時46分、東日本大震災が発生しました。いっしゅんにして多くの物と命をのみこんだ。ぼくの家も学校も町も…。近所の、とてもぼくをかわいがってくれた、おじいちゃんもおばあちゃんたちの命も、そして、宮古のしえん学校に通っていたお兄ちゃんにも会えなくなった。その後、何日も大きなよしんが続きなかなかねむれなかった。ふとんの代わりに、ダンボールと新聞紙を使った。食べ物はせんべいやかんづめを2・3人で1つとおなかがいっぱいになるものではなかったとか、その時は、こわさでくうふくを忘れ、それでも多く感じた。水もでなくて、電気はじか発電機を使うため、夜になっても体育館の中に電気は2つだけ。着替えもなく お風呂にもはいれなかった。このころぼくたちは、旧釜石中学校にいた。
約1週間たって、ぼくたちは甲子小学校にうつった。電気はつくし、水も流れていた。食べ物もだいぶ良くなり、おかずやみそ汁もでるようになった。テレビも見れるようになった。うれしいはずのテレビも、震災のことばかりで3月11日のあの日を思い出して見ることができなかった。1ヶ月たった。ご飯もだいぶ良くなり、ご飯・おかず・みそ汁がでるようになった。このころになると、店も開店して、買い物もできるようになった。
母に「何か買ってあげる。」と言われても、今なにがほしいのか?前は、ほしいものがたくさんあったのに、今は何がほしいかわからないぼくがいた。あの夏から2ヶ月がすぎ、いろ いろなことを感じ、をして生きていられる命の大切さを学んだ。それから大切なものをうばっていった津波がにくくてたまらない。けれどこの震災でたくさんの人に出会う事ができた。そして、たくさんの人に助けてもらった。自衛隊の人、警察の人、市役所の人、ほうどうの人、ボランティアの人…ありがとうございます。と何回言っても足りないくらい。
これから、宮古市で生活する事になった。転校してしまうけど、この震災でいろいろな人に出会い、勇気をもらったから、どこでもしっかり生きて行けると思う。そして大きくなって、大人になった時、人を助けることのできる、りっぱな大人になり、お世話になった人達に、りっぱになったぼくのすがたを見せたいと思います。
最後に、 助けてくれた、たくさんの人達に「お世話になったこと一生忘れません。本当にありがとうございました。」
釜石市立鵜住居小学校 黒澤 海斗
10歳の男の子の作文です。
う”〜
言葉が見つかりません。。。
アリオで出会ったお客さんも言っていたのですが、震災後、日本は一つになりたくさん方々が復興支援に力をいれています。今もなお被災地に足を運んでボランティア活動している方もいます。最近はあまりテレビ見なくなりましたが、未だ手つかずの地域もあります。まだまだたくさんの人の力が必要です。形は色々ありますが、短い短距離走みたいな支援ではなくて「マラソン」のような長い支援をしていきたいと思います。
やびっち!